ネパール編

 

アサモル

カトマンドゥは西の端 ガンジス川の支流に30mの宿
そこに彼は居ました
宿の雑用係
十三才 名前をアサ(希望)モル(無い)といいます

毎晩 タバコを貰いに室に来ました
冗談を言って 笑い転げる私を温かい目で見つめてました

年に何回もない休み
半日かかって山の中腹 彼の郷里に招かれました

どこか懐かしさ憶える彼のお母さん
チャンという 濁酒(どぶろく) くれました

向こうから十才位の女の子
彼 急に下向く 恥ずかしそうに

聞けば 彼の将来のお嫁さんだそうです

その後 遠くから見てたら  将来の旦那さん

一生懸命 話してた。

 

宿から三軒向こう

小さな食堂に 三人の若者はいつも溜っていました
その中の一人 ラジュー
彼は小学校の先生

ラジュー「腕相撲やらないか」
勝っちゃったんだよね
その日から サクティ(power)という名 貰いました

ある日「日本語の授業やらないか」
初めて教師の真似事やる

ここでネパール語講座

ごきげんいかが  トパイライ コストチャ
良いです     ソンツォィ チャ
おはよう     ナマステ
こんにちは    ナマステ
こんばんは    ナマステ
おやすみ     ナマステ
ありがとう    ナマステ(ダンネバーという言葉もあるが普段は使わない)
私の名前はサクティです    メロ ナム サクティ ホ
<追記 年長者に対してナマステはナマスカとなる>

その日から小学生みんな「サクティ」
道に座っていると みんな寄って来て
頭のシラミ 取ってくれた。

ある日 日本の密教の坊さん来る
ラジュー「彼はサクティです」
少し話しすると

「アナタ ニホンゴ ウマイネ」。

その食堂で働いている少年(名前は失念)

が ダサイン(ネパールの正月 10月中旬)に彼の村に連れて行ってくれた
小柄でがっしり
いつも陽気
ベジタリアンなんだけど その日だけは ヤギを生贄にして生肉を食べる

儀式が始まる
彼 20m位向こうへ行ってしゃがむ
(昔 スペインの 闘牛場で牛が殺されるのを見て号泣してた少年を思い出す)
後 いつもの陽気で太鼓 叩いてた

夜 みんなでブランコづくり
7~8mの木を四本立てる
俺が 「せーの」って言ったら みんな訳も分からず
「セーノ」

四日間 お世話になりました

私は 彼等に 何が出来たんだろう

ナマステ   ダンネバー。